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2013年1月号vol.426

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私の勉学時代

群馬大学長 高田邦昭先生に聞く

中学校、高校時代は
様々な分野の知識を吸収し
「学びの裾野」を広げよう
1949年に設置された群馬大学は、上毛三山(赤城山、榛名山、妙義山)に囲まれた風光明媚で、また都心にも程近いという恵まれた環境の中にあります。実際の職業や資格と密接に結びついたカリキュラムを特徴とし、また最先端医療への取り組みなども積極的に行う同大学で、2009年より学長に就任された高田邦昭先生にお話を伺いました。基礎学習の大切さ、受験勉強の方法など、ぜひ参考にしてください!

■Profile
高田邦昭(たかた・くにあき)

1951年鳥取県生まれ。理学博士、医学博士。専門は細胞生物学、解剖学。
74年東京大学理学部生物学科卒業。79年3月同大学院理学系研究科修了(理学博士)の後、同年4月より杏林大学医学部助手(解剖学)となる。81年4月より杏林大学の医学部講師(解剖学)となり、82年2月同大学より論文博士号取得(医学博士)。85年より2年間カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究員として渡米。帰国後は、杏林大学医学部講師、助教授を務める。93年群馬大学内分泌研究所教授(形態学部門)。その後、同大学生体調節研究所教授(生体構造分野)、医学部教授(解剖学)、同大学院医学系研究科教授(生体構造解析学)などを歴任。2007年4月群馬大学大学院医学系研究科長・医学部長。09年より国立大学法人群馬大学長に就任。この他に、日本解剖学会理事長、日本組織細胞化学会監事、日本学術会議連携会員。趣味は山歩きと写真。


将来は研究者になりたい

私が生まれた鳥取市は、第二次世界大戦後間もない1952年4月17日、大火に見舞われました。市街地のほとんどを焼き尽くした大火事だったそうです。私は生まれたばかりでしたので記憶はありませんが、我が家も焼けてしまい、何もない焼け跡に小さな家を建てて暮らしていました。ゼロからのスタートだったので、両親は相当苦労したと思います。祖父母、両親、父の妹、それから妹、弟と一緒に暮らしていたので、小さな家の中は大変にぎやかでしたよ。
私が子どもの頃、父は鳥取大学農学部の講師をしていました。専攻は農芸化学という分野で、土壌学という土を化学的に分析する研究です。土地を耕して作物を栽培する際に、土にどのような成分が含まれていて、どのような作物の栽培に適しているのかを分析していました。土曜日や日曜日には、父の研究室に連れて行ってもらいました。農学部の農場でしぼりたての牛乳を飲ませてもらったり、父が実験する様子を見学したりしていたのですが、研究に没頭する父はとても楽しそうでしたね。父を見て、将来は私も研究職に就きたいと思うようになりました。研究室に並ぶ複雑な形をした実験器具にも憧れました。
父も母も、私の進路や将来の職業について、特に何も言いませんでした。ただ、父には「研究職に就きたいのなら県外へ出なさい」と言われたことがあります。鳥取大学で教授になった父ですが、若い時は東京の農林省の研究所にいました。ですが、長男ということで故郷の鳥取に帰らなければならなくなったのだそうです。そのことを心のどこかで残念に思っていたようです。

発音中心の英語の授業が将来の財産になった

私は父も卒業した鳥取大学附属小学校、中学校に通いました。この頃、特に好きだった教科は理科と社会科です。理科は生物と化学が好きでした。苦手な授業は体育。鉄棒はできませんでしたし、運動会と聞くと胃が痛くなる思いもしました(笑)。
中学校で印象に残っている授業は英語です。担当の佐々木先生は、アメリカに1年ほど留学して英語の教授法などを学んでこられた若い先生でした。今では英語はコミュニケーションのツールであるので、読み書きだけではなく、しっかり会話できないといけないという考え方になっています。ですが、当時会話を中心に進める授業は大変珍しいことでした。
中学1年生の時、つまり英語を学ぶ導入部分で佐々木先生に教わったことは、今の私の財産になっています。「発音は繰り返しなさい」「英語はたくさん発音して失敗し、恥ずかしい思いをするほど上達するものだから、積極的に口に出しなさい」と言って鍛えてくださいました。先生には本当に感謝しています。私は、後に研究員としてカリフォルニア大学へ行きますが、アメリカで生活をして思ったことは、中学生で学ぶ英語で十分にやっていけるということです。皆さんも、英語の基礎を学ぶ際には、発音もしっかりできるようになっておくといいと思います。
私は小さい頃から昆虫採集が好きでした。放課後や休みの日には、林や川に行って虫を捕まえ、図鑑で名前を調べて標本にしていましたね。蝶やカブトムシ、コガネムシなどをよく集めていましたよ。目立つのがあまり好きではなく、友だちと遊ぶより、虫取り網を手に一人で昆虫探しをするほうが好きな子どもでした。他にも、電気部品を買ってもらってラジオを組み立てたり、あらゆるジャンルの本を乱読したりするのが好きでしたね。成文堂新光社の『子供の科学』を毎月買ってもらっていたので、それを読むのも楽しみでした。

教科書を体形的に理解

家での学習環境は、決していいとは言えませんでした。妹や弟と同じ部屋で勉強していましたので、騒 がれると集中できません。それでよく喧嘩をしていました(笑)。学校で出される宿題の量は多かったのではないでしょうか。夏休みの宿題は、実は後回しにするほうでしたね(笑)。お盆休みは母の実家に遊びに行くのですが、それが終わる頃になると「宿題をやらなくては」と思い憂鬱になりました。
高校受験では、県立の鳥取西高等学校を志望しました。テストではよく緊張していたので、確実に点を取れるところは特に注意深く取り組むように心がけていました。教科別でいえば、英語や国語、社会科は安定して得点できました。数学では基礎の問題を先に解き、わからない問題は後回しにしていましたね。緊張を緩めるには、事前にしっかり勉強をして本番に挑むのが最も良い方法です。本番までの勉強量が自信につながると思いますよ。
受験勉強には、教科書の内容を体系的に理解する方法と、参考書などの問題を解く方法があると思います。私には、教科書の内容を体系的に、前後の学習内容とのつながりを理解しながら学習するやり方が合っていました。模擬試験は、たんに回数をこなすのではなく、自分が「どこまで理解できているのか」を確かめたい時に受けていましたね。基本をしっかりと理解しないまま問題だけ繰り返し解いてテクニックだけを磨くのでは、実力は身につかないと思っていました。まずは教科書の内容を自分のものにすることが、合格への最短距離ではないでしょうか。大学受験にも同じことが言えると思います。ノートはしっかりまとめていましたね。手を動かして書くことで、情報が整理でき、まとまった知識を頭に刻むことができると思います。また、受験生の時期は、予習よりも復習を重点的に取り組みました。予習でつまずくよりも、復習のほうが効率的な学習ができると考えていました。
高校は中学校までと違い、規律の大変厳しい校風でした。進学校ということもあり、テストも多く、早い段階から文理選択を行っていました。クラス分けも成績によってランク付けされていたと思います。私は最初から大学は理系の学部に進もうと決めていました。そして「研究職に就きたいのなら県外へ出なさい」という父の言葉通り、東京大学を受験しました。

研究職の難しさを実感

大学の理学部専門課程では動物学を学びました。神奈川県の三浦半島に東京大学の臨海実験所があったので、そこで海の生物の研究をすることが多かったですね。例えば生きたイカから神経を抜き取って様々な反応を見る実験などに取り組んでいました。大学入学後も研究職に就きたいという意志は変わらず、当時の最先端分野だった生化学を学びたいと思い大学院は寺山先生の研究室に所属します。寺山先生は細胞膜の分析をされていました。がんなどの病気になった時、細胞膜はどのようになるのかなどを調べていたのです。私もこの分野に5年間取り組みました。
大学院に進み実感したことは、研究職に就くことの難しさです。特に理学部の場合は大変厳しく、10年に1人採用されるかどうかという状況でした。そんな時、杏林大学医学部の平野先生から声をかけていただきました。平野先生は細胞膜を、電子顕微鏡を使って医学的に研究されていて、細胞膜についてわかる研究者を探されていたそうです。目先を変えてみるのも面白いと思い、杏林大学に就職することにしました。

学びに遠回りはない

私は理学から医学へ転身したわけですが、理学で得たことは視野を広げる点で有益でした。学びに遠回りはないと思います。群馬県にある赤城山は、裾野の広い姿をしています。私は、皆さんにはこの赤城山のように「学びの裾野」をしっかりと広げてほしいと思っています。現代社会は変化が激しく、多様化していて、新社会人であってもグローバルな視点や応用力を求められる機会が多くあります。就職した企業の事業が10年先もまったく同じである保証もありませんし、もっと厳しいことを言えば転職をしなくてはならないかもしれません。そんな時、皆さんの味方になってくれるのが基礎学力、特に中学校、高校での学習内容です。この時期に、文系理系関係なく幅広い知識を身につけておけば、将来どんなに高い山に登っても揺らぐことはありません。特に、これからは国際社会での活躍が求められます。ぜひ、積極的に「学びの裾野」を広げてください。




コラム
 

重粒子線医学への取り組み
重粒子線によるがん治療とは、がんの病巣をピンポイントで狙いうつ最先端の治療方法です。体の中を単純に突き抜ける従来のエックス線治療と比べ、重粒子線を使った治療は、正常部分の線量は少なく、がん部分で線量が多くなります。体を傷つける部分を最小限に、かつ効果的にがん細胞を取りのぞくことができます。
群馬大学の「重粒子線医学研究センター」では、重粒子線医学の研究開発と、治療を担う診療腫瘍医、医学物理士、放射線生物学者などの養成を、「重粒子線医学センター」では臨床試験と実際にがん治療を行っています。開腹せずに1回の治療も短時間で済み、通院での治療が可能、体への負担も最小限という夢のような最先端医療の普及を目指しています。



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