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2012年11月号vol.424

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

身につく日本の歴史〜幕末・明治時代編〜
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関塾
関塾 タイムス

私の勉学時代

青山学院大学学長 仙波憲一先生に聞く

イマジネーションを育み
多様な価値観を認め
他人を尊敬できる人になろう
明治初頭、アメリカのメソジスト監督教会から派遣された3名の宣教師によって創設された3つの学校を源流に持つ青山学院大学。2009年には新制大学開学60周年を迎えた同大学は、現在、青山キャンパス・相模原キャンパスに合わせて9学部23学科12研究科を擁し、充実した教育・研究環境が整っています。今回は、ご自身も同大学を卒業され、2011年12月に学長に就任された仙波憲一先生にお話を伺いました。

■Profile
仙波憲一(せんば・けんいち)

1950年群馬県生まれ。経済学者。
74年青山学院大学経済学部経済学科卒業。76年同大学院経済学研究科修士課程修了。80年同大学院経済学研究科博士課程を所定の単位取得のため退学。84年より青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科専任講師を務める。87年同大学国際政治経済学部国際経済学科助教授、93年同教授。2003年青山学院大学副学長を経て、2011年12月同大学学長に就任。専門分野および関連分野は、理論経済学、マクロ経済学、ミクロ経済学、経済・経営数学。『知識管理活動とインターナショナルマネジメント』(共編著/石川昭・高森寛・仙波憲一編)税務経理協会・2002年3月など、著書・論文多数。


「兄貴分」の家庭教師

私が生まれた群馬県高崎市は、関東平野の北西部に位置しています。市内からは、赤城山、榛名山、妙義山の「上毛三山」を眺めることができました。内陸のため夏は暑く、冬は北から冷たく乾燥した「空っ風」という強い風が吹きます。厳しい気候ではありますが、緑が多く長閑で住みやすい土地でした。
父は、戦中、東京の陸軍士官学校(*1)で教官を務めていました。戦車隊の育成をしたり、ターボエンジンの研究等をしたりしていたそうです。父は愛媛県の出身で、陸軍に入るために東京へ出ました。おそらく幕末に生まれ、愛媛から東京へ出て軍人となり日露戦争に参加した仙波太郎(*2)にならって軍人になったのではないかと思います。
戦後は、群馬県の自動車会社に呼ばれ、エンジンの開発や販売をしていました。大変穏やかな人で、父から厳しく躾けられたり、勉強しなさいと言われたりすることは、まったくありませんでした。
私には4人の姉がいます。小学1、2年生の頃、遊び相手が姉ばかりで不安に思ったのでしょうか、母が大学生の男性を家庭教師につけてくれました。群馬大学に通いながら声楽家になるために東京芸術大学を目指していた大学生です。一緒に山へ遊びに行ったり、映画を観に行ったりしましたね。私が小学5年生の時に彼が東京芸術大学へ入学を果たすまで、週に2、3日家に来ていました。小学校の友だちとは野球をしたり、メンコをしたりして遊びましたが、彼との思い出は、また違った影響を私に与えてくれました。いい「兄貴分」だったと思います。

*1 陸軍士官学校…大日本帝国陸軍において、将校(階級が少尉以上の軍人)を養成した軍学校。
*2 仙波太郎…1855〜1929年。1911年陸軍中将。1920年5月から1924年1月まで岐阜県選出の衆議院議員を務める。

伝記物に夢中になる

小学校の授業は楽しかったのですが、家ではあまり勉強をしませんでした。家で机に向かっても、10分もすると集中が途切れてしまいます。大人しく座っていることができなくて机を離れると、姉たちに叱られたものです(笑)。姉たちは勉強がよくできて、立派な成績を修めていました。私も学校での成績はよかったのですが、彼女たちにはまったく歯が立ちませんでしたね。私は、どちらかというと運動のほうが得意で、遊びに全力投球する活発な子どもでした。
一方で、体はあまり丈夫ではありませんでした。体調を崩すたびに病院に通いました。家で寝て過ごすことも多く、そんな時は読書をしていました。それはもう、いろいろな本を読みましたよ。特に夢中になったのは、『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』です。伝記物もよく読みました。黄熱病などの研究で有名な野口英世や、ノーベル平和賞を受賞したフランスの医師シュバイツァーの伝記については、今でもよく覚えています。将来は、彼らのように医療に携わりたいと思っていました。病院は嫌いでしたが、診察の後に本を買ってもらえたので我慢して通ったのを覚えています(笑)。

学校以外での学び

小学校高学年の時、母が英語の家庭教師をつけてくれました。現役の高校教員で大変厳しく指導されましたが、そのおかげで中学校の英語はテストで常に満点を取るほど理解できました。1教科が他の生徒より進んでいると、他教科の学習にも余裕ができます。こうして中学校の成績は常に上位クラスでした。家庭教師は中学2年生までつけてもらいました。後で知ったのですが、先生は私が進学した群馬県立ア高等学校の教員でした。おそらく、私の志望校を知って家庭教師を辞退されたのではないかと思います。中学3年生の1年間は、近所の英語塾に通いました。姉たちも通っていた個人塾で、これも偶然なのですが、先生は父が陸軍時代に知り合った軍医でした。英語が堪能な方で、指導は厳しかったですが、しっかり学力が身についたと思います。
中学校入学後、高校2年生の時までは数学塾にも通いました。複数の学校から5、6人の生徒が来ていたと思います。ここは「最高の塾」でしたね。先生には、数学の“考え方”を徹底的に教わりました。大きな紙を皆で囲み、その紙に先生が問題を解いていくのですが、なぜこうなるのかということを丁寧に教えてくださいました。ただし、理解できていないと、大変な剣幕で叱られましたね(笑)。怖かったですが、それ以上に先生の数学に対する情熱が生徒の私たちにも伝わっていたので、通い続けることができました。この塾での体験は、今の私の教え方の原点にもなっていると思います。

経済学の道へ

高校は男子校であり進学校でした。校風はまったく厳しくなく、先生が生徒を信頼して、個々の自主性を重んじていました。全学年参加のクラス対抗行事が一年を通じていくつか開催されるのですが、それも男子校ならではの取り組みではなかったでしょうか。百人一首大会や弁論大会、球技大会、柔道大会など、学年関係なく競う行事は、どれも本当に楽しかったですね。
一方で、進学校らしい特徴もありました。 英語と数学の授業に関しては、テストの成績をもとにAクラスから順番にクラス分けがされました。生徒は各々のランクの教室に移動して授業を受けます。入学後の実力テスト、その後は定期考査の結果ごとに毎回クラスを振り分けられました。英語と数学の塾に通っていたにも関わらず、私はBクラスでしたね。中学時代から引き続きバスケットボール部に所属して、部活動に力を入れていたからという理由は抜きにして、Aクラスに入る同級生たちは本当にすごい、敵わないなと思い知らされました。
その後、一年の浪人生活を経て青山学院大学経済学部に入学するのですが、経済学を学ぶことは高校時代から決めていました。伝記物を読んでいた時からずっと、社 会に関すること、特に世の中の流れについて関心を寄せていました。

イマジネーションを育てよう

大学院に進学したのは、経済学の中でも特に理論的な分析について、もっと研究を重ねたいと思ったからです。簡単に言うと、経済の仕組みがどういった構造になっているかを、連立方程式などを作って解き、分析していく研究です。ただし、そこで用いるのは受験のための数学ではありません。問題を解く技術ではなく、「なぜそうなるのか」を考えるための数学が必要なのです。
「1+1=2」ですが、現実の世界では、時に「3」になったり「4」になったりすることがあります。そんな時、「なぜそうなったのか」あるいは「なぜそうする必要があるのか」を考えるのが、本当の数学の醍醐味なのです。そこには人の気持ちが入っていたり、「1+1=2」以外の別の約束事が生まれていたり、様々な可能性が含まれています。例えば、「消費税が5%から8%になったら、私たちの暮らしはどうなるだろう?」と考えた時、「負担 が大きくなるので生活が苦しくなる」という経済のモデルと、「国が消費税を上手に社会へ還元すれば、むしろ暮らしがよくなる」という経済のモ デルが出たとします。まったく正反対に思えますが、もとは同じ「消費税が8%になる」ですね。そこで、なぜこのような正反対の意見が出たのだろうと考えることが、論理的思考につながっていきます。
論理的に組み立て、疑問を一つひとつ解決しながら辿り着いた答えは、それがどんな答えでも正しいはずだと私は思っています。それに、論理的に考える楽しさに気づくことができれば、一つの解答に捕らわれない、自由なイマジネーションを育てることができるでしょう。イマジネーションを育てることは、価値観は一つではないと理解することであり、自分とは違う価値観を持つ他人を一人の人間として認め、尊敬し、大切にすることにもつながると私は思います。




コラム
 

青学生とボランティア活動
2011年5月、青山学院大学ボランティア・ステーション(AGU-VS)が誕生しました。この全学的ボランティア組織誕生のきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災です。震災以降、学生が主体となって被災地のニーズに応じた活動を企画し、実際に学生を派遣しています。岩手県の大船渡市、宮城県の気仙沼市、石巻市、多賀城市などに派遣された学生たちは、炊き出しや写真洗浄の他、中学生の学習支援や大学受験生の支援など、学生だからこそできる活動にも取り組んできました。また、地震の影響を伝え、正しい防災の知識を身につけてほしいという思いから、NHK防災パーク2011にブースを出展するなどの活動も行っています。実際のプロジェクトはブログ(http://ameblo.jp/agu-vsta/)に詳しく掲載されていますので、ぜひ一度のぞいてみてください。



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