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2012年10月号vol.423

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私の勉学時代

京都教育大学長 位藤紀美子先生に聞く

いろいろな分野に触れ
その基礎基本を大切にして
「好奇心の畑」を耕しましょう
国立大学法人京都教育大学は、1876(明治9)年に前身となる京都府師範学校が創設され、135年もの歴史を有しています。今回は、2009年同大学の学長に就任された位藤紀美子先生にお話を伺いました。国語教育学者でもある位藤先生が経験された、言葉にまつわるエピソードは必見です。「思いついたことは、まず紙に書き出して、それから考える」という方法も、ぜひ参考にしたいですね。

■Profile
位藤紀美子(いとう・きみこ)

1946年愛媛県川之江市生まれ。国語教育学者。
広島大学教育学部(教育学研究科、教科教育学専攻)を卒業後、同大学院教育学研究科。同大学にて助手を務める。73年より京都教育大学講師に就任。その後同大学助教授、90年より教授、2009年3月定年退職、4月よりびわこ学院大学教授を経て、同年10月1日京都教育大学長に就任。全国大学国語教育学会、日本国語教育学会所属。著作に『作文・綴り方教育史資料(上・下)大正期から昭和期へ雑誌「赤い鳥」綴り方を中心に』1971年(桜楓社)、『新編「小学校国語科教育法」第5章 国語科の授業構想・計画例・実践例その22、「書くこと」の指導の評価・留意点』2002年(桜楓社)がある。


「伊予の小京都」で育つ

戦前、和紙の製造で知られた愛媛県川之江市(現在は四国中央市)というところがあります。私はこの地で生まれ、2歳の時に同じ愛媛県の大洲市へ引っ越しました。川之江市では両親ともに教員をしていたのですが、1947年の学制改革(*1)により大洲に新制中学校ができるというので、同地出身の父が呼ばれたのです。母は引越しを機会に教員を辞めました。
大洲は「伊予の小京都」とも呼ばれる旧城下町です。江戸時代には学問を好む気風があって、かつては陽明学者の中江藤樹(*2)も暮らしていました。盆地でしたので、夏は暑く冬は寒かったですね。それに、秋の初めから春先までは、濃い霧がよくかかっていました。
大洲に住み始めた当初は郊外の農村に家を借りていたため、豊かな自然が身近にありました。戦後間もない頃で物もなく、畑を借りて芋を植えたり、赤土で竈を手作りしたり、山で薪を拾ってきたりということをしていました。私は当時3、4歳くらいでしたが、親について山に入りました。

*1 学制改革…第二次世界大戦後の1946年より行われた学校の制度改革。6・3・3・4制の学校体系への変更などがあった。
*2 中江藤樹(なかえ・とうじゅ) …1608〜1648年。江戸時代初期の陽明学者。日本陽明学の祖。場合に応じた行動をとることを説いた。近江小川村(滋賀県)に門人を育てるための「藤樹書院」を開き、近江聖人(おうみせいじん)と呼ばれた。

音声から新しい世界を知る体験

父も母も、それぞれの置かれた環境の中で精一杯の努力をしながら道を切り拓いて生きてきた人でした。ですから、私に対しても「将来は自分の力で生きていけるように。しっかりと自立できるように」と言っていました。特に言葉遣いについては、厳しかったですね。家の外で人と接する時などは、たとえ相手が友人であっても、慣れ合いの言葉ではなく、丁寧な言葉遣いをするように言われて育ちました。
また、両親が毎晩のように枕もとで物語を話してくれたおかげで、まだ文字が読めない幼い頃から、私の生活の中には言葉が自然と溶け込んでいました。真っ暗な中で聞く語り話は、想像力をたくましくしてくれました。音声だけで物語の世界に入っていくので、場面を思い描く力が養われるのです。言葉を通じて新しい世界を知る面白さを幼い頃から体験していましたので、まったく抵抗なく本を読み始めることができました。両親には感謝をしています。

「感激」と「感動」は違う

両親は、私のしたいことを自由にさせてくれました。小学2年生からは書道教室、小学校中学年から中学校にかけては学校の美術クラブと個人でのピアノ教室に通っていて、勉強よりも夢中になっていました(笑)。読書は趣味というよりも、生活の一部になっていました。小学生の時から分野を問わずに乱読していました。家にある本だけでは足りなくて、学校の図書室にも通っていました。
私にピアノを教えてくださった城戸先生は、中学校で音楽を担当されていました。その城戸先生が、本の好きな中学2、3年の生徒を対象に、読書同好会を開いていて、中学2年の私を、そこへ誘ってくださいました。同好会の活動は週に一度、それぞれが読んだ本を持ち寄って感想などを語り合うというものでした。読んだ本の感想ノートを先生に朝提出すると、下校時までに感想の感想を書いて返してくださるのが嬉しかったですね。先生に関する思い出で、特に印象に残っていることがあります。音楽の授業で、ある曲を聞いて各自が感想を書いた時のことでした。ある生徒の「感激した」という言葉について先生は、「“感激”とは、激しく心を揺さぶられることです。こ の曲には、感激ではなく、深く感じて心が動かされる“感動”という言葉を、私なら使います」とおっしゃいました。国語の先生でさえ、そこまで深く言葉について言及されることはなかったので、驚きました。自分の気持ちに合った言葉を選ばなければならないと気づかされました。

数学の問題を1日10問解く

学習面での環境は、高校進学後に一変しました。愛媛県立大洲高等学校に進んだのですが、ここでは入学試験とは別に英語、数学、国語の3教科のテストを実施して、その結果をもとにクラス編成が行われました。生徒の意思は関係なく、国公私立各大学ごと及び就職という各コースに振り分けられたのです。大学進学のためのカリキュラムが組まれ、土曜日や日曜日、それに休日は模試や補講もありました。私は国立コースだったのですが、書道教室等にも通えず、友人と話をする暇もなくなるほど毎日が忙しくなりました。
その代わり、数学の問題を1日10問解くことを日課とすることにしました。そして、時間を有効に使うために、自ら生活習慣を改めました。学校から帰ると、食事をして19時に就寝、21時に起きて数学の問題を解きます。数学の問題が解けたら読書をしました。時には英語の予習をすることもありましたが、大抵は読書でしたね。そこで、本を読んで気になったことを書き出し、それについて考える習慣が身につきました。読書が終わると、再び3時から6時まで睡眠をとり、学校へ行っていました。

生きた言葉を研究する

大学受験を前に、自分の将来について真剣に考え、自立するために高校教員になろうと思いました。そこで、教育学部に高校教員課程がある広島大学へ進もうと決めました。
大学の自主ゼミでは、「高校生の話し言葉の実態|意識と実際の言語力」の研究をしました。大学の授業では、附属小学校での「児童語研究」がありました。30余名の学生が一年間、各学年のクラスに週に一度入り、できるだけ正確な授業の記録を取りました。私は自主ゼミの仲間と3、4年生のクラスを担当しました。筆記やテープでの録音 による文字おこしから1時間分を文字で再現し、気づいたことなどを添えて提出するのです。このような「生きた言葉」に着目したり、言語の獲得について学んだりすることで、大学院に進学して研究を続けたいと思うようになりました。
専攻の研究室には、国語教育学者の野地潤家先生がいらっしゃいました。先生は偶然にも私の卒業した高校の前身、旧大洲中学校の出身で、学部でも大学院でもお世話になりました。修士課程では、その野地先生が購入された『赤い鳥』(*3)を取りあげ、作文教育の視点から研究しました。雑誌の巻末に鈴木三重吉が当時の子どもたちの作文を募集し選定指導するページがあります。「自分のしたこと見たことなどを自分のことばでありのままに書こう」という提唱から始まるこの『赤い鳥』綴り方は、日本の作文、綴り方教育の歴史において、大きな役割を果たします。この後、日本とイギリスの国語教育を比較する研究をしたのですが、『赤い鳥』綴り方の研究を通じて、日本の国語教育史を先に理解できていたことは、大変役に立ちました。

*3 『赤い鳥』…広島県出身の小説家・児童文学者である鈴木三重吉が創刊した児童総合雑誌。1918〜1936年まで発刊された。芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)の「蜘蛛(くも)の糸」や「杜子春(とししゅん)」、新美南吉の「ごんぎつね」などが掲載された。

「好奇心の畑」を耕そう

高校生までは、基礎基本をしっかりと身につけてほしいと思います。特に学校の授業は少なくとも理解できるように努めてください。自分の得意な分野、好きなことを見極めていくには、時間がかかるものですし、知的好奇心は中学生頃から非常に活発になります。ぜひこの時期に「好奇心の畑」を耕してほしいと思います。様々な分野に触れながら、自分の中の可能性の芽をじっくりと育てていってほしいと思います。特定の分野について極めていくことは、その次の段階です。
また、自分の考えを育てていくには、思いついたことを紙などに書き出すことも、大切です。ひらめいたその瞬間にメモをとりましょう。最初は断片でも、続けていくことで徐々に考えのまとまりが見えてきて、それをどうつなげていくかと工夫することにより、組み立てる力が身につきます。まずは、自分の思いや考えを書いて視覚化すること。次に、続けること。日記でも簡単なメモでも構いません。ぜひ実践してみてください。
これからは根拠となる情報をもとに自分の考えを練り上げ、的確な言葉でいろいろな相手と意思疎通を図ることが、いっそう必要になります。




コラム
 

まなびの森ミュージアム
1876(明治9)年に創立された京都府師範学校を源流に持つ京都教育大学。同大学では、その135年にわたる歴史をうかがい知ることができる教材や教具、美術品を多数保有しています。キャンパス内にある教育資料館「まなびの森ミュージアム」では、そんな貴重な収蔵品を展示。一般公開しています。建物はかつて同地にあった旧陸軍第19旅団司令部を改装したもので、当時の面影を今に伝えています。展示室では、明治期から戦後にかけて教育現場で活躍した理化学実験器具や楽器の他、同大学の歴史を伝える資料、縄文土器などの歴史資料、美術資料などを展示。どれも精巧なつくりで驚かされます。現在授業で使用されている教具などと見比べてみると、面白いですよ!



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