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2012年8月号vol.421

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私の勉学時代

富山大学長遠藤俊郎先生に聞く

「人の力」は千差万別
自分の得意分野を見つけ
伸ばす努力をしよう
「富山の売薬」でも知られる富山県は、「薬都富山」「ものづくり富山」「教育県富山」として広く認知されてきました。2005年に県内3大学(旧富山大学、富山医科薬科大学、高岡短期大学)の再編と統合によって誕生した同大学では、こうした歴史と風土を 大切にした国際水準の教育と研究を目指しています。今回は、2011年4月同大学の学長に就任された、医学博士の遠藤俊郎先生にお話を伺いました。

■Profile
遠藤俊郎(えんどう・しゅんろう)

1946年宮城県仙台市生まれ。医学博士。71年東北大学医学部医学科卒業。77年東北大学医学部附属病院脳疾患使節脳神経外科助手に着任。80年より富山医科薬科大学(現富山大 学)医学部脳神経外科助教授、99年より富山医科薬科大学医学部脳神経外科教授を歴任する。2005年より富山大学大学院医学薬学研究部脳神経外科教授。11年4月富山大学長に就任。専門分野は医学、脳神経科学。


外科医だった父

私は、終戦翌年の8月6日、宮城県仙台市に生まれました。広島市に世界で初めて原子爆弾が投下された日から、ちょうど1年後です。
父は外科医として大学病院に勤務していました。何事にも一生懸命で正義感が強く、真面目な父でしたね。一方で、仕事が忙しく、家庭をあまり顧みない人でもありました。遊んでもらった記憶もほとんどありません。年に一度、旅行に連れて行ってもらいましたが、戦後間もない貧しい時代のことですから、それほど遠出ができるわけではありませんでした。小さい頃、将来父のような医者になりたいと思ったかと問われれば、それはまったく思っていなかったですね(笑)。どちらかというと、反面教師として見ていました。

物のない時代から高度経済成長期を経験

父が福島県立医科大学に転勤になったので、小中学生時代は福島市で過ごしました。 学校は、福島大学学芸学部附属小学校(現在の福島大学附属小学校)を経て、同じ附属の中学校に進学しました。
私が通っていた当時の小学校は、給食もなければプールもありませんでした。本当に物がない時代で、遊びといえば、住んでいた大学官舎の側で友達と野球をしていたくらいでしょうか。それも、糸の玉と木の枝のバットで(笑)。グローブなんてものも、もちろんありませんでした。野球は大好きでしたね。小学5年生の時に初めて東京へ連れて行ってもらって、後楽園球場でプロ野球の試合を観戦したこともあります。
小学5年生といえば、友達の家にテレビが来るというので大騒ぎになった覚えがあります。私は、戦後間もない物のない時代から高度経済成長期(*1)までを、まるまる経験しました。白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」が登場し、生活がどんどん豊かになっていった過程を見て育ちました。今思えば、とても幸運なことでしたね。「こんなことがあったらいいな」と思ったことが、次々と現実になっていく時代でした。夢があったと思います。私の一つ下の学年からちょうど団塊の世代(*2)なのですが、だからこそ、よりいろんな変化を実感できたのではないかなと思います。

*1 高度経済成長期…1954年12月から1973年11月までの、日本の経済が飛躍的に発展した時期で、一連の経済成長は「東アジアの奇跡(東 洋の奇跡)」とも呼ばれている。1968年には、国民総生産(GNP)が資本主義国の中で第2位となった。
*2 団塊の世代…第二次世界大戦後の復興期に生まれた、1947年から1949年までの世代のこと。250万人以上の出生数だった第一次ベビーブーム世代。

得意分野で一番になればいい競い合うことも必要

小学5、6年生の時の担任の先生は、とても印象に残っています。若い男性の先生でした。家から持って来た本を生徒に配って読書を薦めるのですが、私などは読書が嫌いでしたから(笑)、なかなか困った記憶があります。一方で、子どもと同じ目線で遊んでくれたのは嬉しかったですね。先生の机の引き出しには、カードやらビー玉やらの遊び道具が入っていて、昼休みになると「さあ、やるぞ!」と言って生徒を集めていました。
読書が嫌いだと話しましたが、苦手な教科は国語でした。算数は好きでしたね。かけ算の九九を学んだ時、先生が「1分以内に九九をすべて言えた者には賞品を出すぞ」とおっしゃって、必死に唱えた記憶もあります(笑)。
当時は、授業や学校行事などで、生徒同士が競争する場面がたくさんあったと思います。競争させることは、子どもにとって大変いい刺激になると思うのです。すべてにおいて競争させるのではなく、子どもそれぞれの得意分野を大人が見つけてあげて、その分野を伸ばしてあげることが大切ではないでしょうか。得意な分野で一番を目指せばいいと思います。
高校は宮城県仙台第一高等学校へ進学しました。私が通っていた当時は男子校でしたが、現在は男女共学になっています。その高校には親戚も通っていましたし、とても馴染じみがあって面白そうな学校だと思っていましたので、自ら希望して仙台市に戻ろうと思ったんです。塾などない時代でしたから、自力で受験勉強に取り組みました。他県の高校を受験することは、私にとって意味のある挑戦だったと思います。
高校に入学後は、両親と離れて祖父母の家から通うことになりました。家事などをしないといけない事情や自分の努力不足もあって、勉強を十分にやらなかったなという思いはありますね。理系を選択した後進K路を決める時も、私よりも成績のいい同級生がたくさんいて、彼らには敵わないと思っていました。大学は経済的な事情もあり、地元の国立大学を視野に入れていました。当時、国立大学の授業料は月に1000円 だったんです。今では考えられませんよね(笑)。

「この分野で世界一になる!」
恩師と出会い脳神経外科へ

なんとか浪人せずにすんで、東北大学の医学部に進学することができました。大学の講義で印象に残っているのは、物の本質を教えてくれた先生の講義ですね。特に、脳神経外科医の鈴木二郎先生との出会いは、私の進路を決める衝撃的な出来事となりました。
鈴木先生は東北大学の教授に就任されたばかりの、若い先生でした。当時、脳神経外科は新しい分野で、大学の講義も年に一回だけという状況でした。学生に講義できるほどの内容がまだなかったんですね。そんな年一回の講義を、私は偶然聴きに行くことができました。そこで、鈴木先生は「私は、この分野で世界一になる!」と宣言されたのです。「脳神経外科は未知の分野だ。今は手術をしても半数が亡くなってしまうかもしれないが、将来必ず必要とされる分野になる。大変かもしれないが、一緒にがんばろうという学生は私のところへ来なさい」とおっしゃいました。
この言葉が、私の人生を大きく左右することになりました。この人だと思った私は、大学卒業後、鈴木先生の教室に入ったのですが、こんなに大変なのかと驚きました。先生のご指導は本当に厳しかったです。「病院に泊まり込んで、24時間患者さんの側にいて、自分に何ができるかを考えろ」と言われました。鈴木先生は、確かに厳しい人でしたが、それは愛情のある厳しさでしたね。「患者さんは私たちに命をかけてくれている。私たちも命をかけて仕事をしなければならない」と言う先生は、本気で世界一を目指していらっしゃいました。チームワークを特に重んじる人で、その一つの形として先生は私たちと野球チームをつくっていました。たとえ趣味の野球でも、ミスがあると真剣に怒られましたね(笑)。

「人の力」は千差万別

1970年代以降の30年間、医療の現場は大きな進歩を遂げました。体の内部を映像化するCT(コンピュータ断層撮影)やMRI(核磁気共鳴画像法)などの様々な最新医療機器が誕生しました。やはりコンピュータは偉大だと思います。頭を切開しなくても病気が発見かつ治療できるようになって、医師の負担も、もちろん患者さんの負担もずいぶん減りました。高度経済成長の時もそうでしたが、コンピュータが誕生して以降の医療界もまた夢だったことがどんどん実現していきました。そして現在、臓器移植が可能になったり、クローン技術の研究が進んだりしていますね。しかし、こうした技術ばかりが先に進んで、その技術を扱う人の倫理 観が成熟していないような気がします。人の死や命について、私たちはもっと真剣に考えなければならないでしょう。
さらに言いますと、進歩した技術を扱う「人の力」というものについて、もっと考えないといけないと思います。人の能力は千差万別です。医療の現場だけでなく、あらゆる場面でこのことを念頭に置いておかなければなりません。これは皆さんにも当てはまることで、同じように学習すれば同じだけ学力がつく、なんてことはないのです。自分が伸ばせる分野を見つけ積極的に取り組んで、ぜひ一番を目指してください。




コラム
 

和漢医薬学総合研究所
富山大学和漢医薬学総合研究所は、国立大学法人唯一の医薬系研究所です。和漢医薬学を、最先端科学技術を駆使しして研究し、東西医薬学の融合という新しい分野を築こうとしています。2003年には文部科学省の21世紀COEプログラムに「東洋の知に立脚した個の医療の創生 」構想が伝統医薬学の分野として初めて採択された他、2010年から「共同利用・共同研究拠点」としても認可されました。また、海外との学術交流なども盛んで、天然薬物の研究を発展させるための国際学術交流協定(2005年9月時点で8か国15機関が締結)を通じて、海外の研究機関の研究者と学術交流などの活動も行っています。伝統的な薬物が秘めている力は近年大変注目されています。東西医薬学は、今後大きな発展が期待できる分野なんですよ。



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