関塾

2006年9月号vol.350

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1. 秋以降の学習法と定期テスト対策
私の勉学時代
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私の勉学時代

中央大学 永井和之先生に聞く

スケールの大きな子どもに育ってほしい
 120年あまりの歴史を誇る中央大学は現在6学部、大学院7研究科、専門職大学院2研究科のほか、9研究所、3付属高等学校を擁する総合大学です。八王子市南部の広大な敷地に広がる多摩キャンパス、理工学部の後楽園キャンパスに加え、2000年には東京都心に市ヶ谷キャンパスを新設。市ヶ谷キャンパスには国際会計研究科(アカウンティングスクール)、法務研究科(ロースクール)と専門性の高い大学院が置かれています。
 中央大学法学部出身で、学生時代に司法試験に合格した総長・学長の永井和之先生は、法学部長時代には司法試験制度の改革に関する委員も歴任されています。そんな永井先生に、ご自身で編み出された勉強法の秘訣や、これからの教育がどうあるべきかについて語っていただきました。

■Profile
永井 和之(ながい・かずゆき)

1945年東京都生まれ。
68年中央大学法学部卒業。
69年同大学法学部助手、74年同大学助教授。81年同大学教授。
1999年より2003年まで中央大学法学部長。
05年同大学学長に就任、同年学校法人中央大学総長を兼務、現在に至る。

外で遊び・本に親しむ

 子どもの頃からずっと世田谷に住んでいるのですが、当時は周りに畑も多く、近くのお宮には湧き水でできた池などがあるなど、環境は非常によかったです。近所ではトンボ取りなど昆虫採集もよくやりました。そういえば、お宮の池に落ちたこともありましたね。沈んで下に足がついたので上を見たら、下から見る水面が本当にきらきらしていてきれいで、今でもその光景は覚えています。
 母に怒られた記憶はあまりないのですが、あとあと聞くと私が近所のガキ大将などと一緒に悪さをして、よく誤りにいったらしいです。上は姉が5人で、私は末っ子でした。男の子は1人だけなので、母からは「近所に謝りにいったのはおまえだけだ」と言われていましたが、確かに女の子はあまりやらないですよね、いたずらは。
 ある時には、近所の家で勝手に柿を取っている最中に、木の上でわーわー泣いていたこともあったらしいです。それを聞いた父が、家の周りに柿の木を10本ぐらい植えてくれました。その父も、高校1年生の時に亡くなってしまいました。
 小学校時代で自慢できるのは、1年から6年まで学芸会でいつも主役だったことです。また小学校1年の学芸会では、シナリオを手にすると人のせりふまで全部覚えたので、とても好評だったと聞きました。上に姉が5人もいたこともあり、子どもの頃から自宅には本がそろい、紙のケースに入った少年少女文庫や、猿飛佐助、真田十勇士などをよく読んでいました。今にしてみると、その頃にいろんな本を読んで覚えていたことが、司法試験にも役立っているのでは、と思いますね。

考古学から法律家の道へ

 中学では考古学研究会に入り、顧問の大場先生に連れられいろいろな場所へ発掘に出かけました。神奈川県の秦野(はだの)では陶器の匙(さじ)を見つけ「これは珍しい」とほめられたこともありました。そうした経験から、考古学者になりたいと考えた時期もあったのですが、高校から進学し大学を選ぼうという時点で、義兄などから「就職では片親だとハンデを負うので、何か資格をとったほうがいいよ」と言われましてね。当時は、片親の子どもは就職に不利な時代でしたから。それを聞き、私は司法試験に挑戦し、合格して裁判官を目指そうと考えたのです。となると、東京で司法試験に数多くの学生が合格する大学というと当時は2つしかなかったんです。そこで、中央大学に入学しました。

マラソンのような勉強

 大学に入学してびっくりしたのは、入学式の時にクラスでもう「受験新報」や六法全書を持ち、司法試験の内容についていろいろと話す人がいたことです。私などは司法試験を目指すと決めたとはいえ、受験方法や試験科目などを全然知らなかったので、「さすが中大法科だ」と驚きました。とはいえ、1年生ではそれほど勉強せず、本格的に法律の勉強を始めたのは2年生からです。
 当時の中央大学には「学研連」と呼ばれる、学生が自主的に法律を勉強する団体が中桜会、真法会など5つありました。2年生になると、私はそのなかから中桜会研究室に入り、夏休みには同じ研究室の同期生3人で勉強しようと、我妻栄先生の「民法講義・総則」と六法を持って長野県の農家に行き、1ヶ月の合宿をしました。
 3年生になってからは、だいたい朝9時頃に大学に出かけて夜9時ぐらいまで勉強する生活でした。間には昼食や夕食、食後の運動などもあるので、勉強していたのは正味8時間ぐらいでしょうか。実は、このペースが私にはよかったのです。それ以上やっても頭は働かない。働かない時はやっても無駄だと。
 それが体感的にわかった時、私はこう考えました。もし1日8時間の勉強を1日休むと、その後に1日9時間勉強しても、計算上取り戻すのに8日間かかる。しかも、1時間は無理をするために効率が悪く、実際に取り戻すためにはそれ以上の日数がかかる。となるとペースを崩さず毎日8時間しっかりと続けることこそ一番効率のよい勉強法である、と。よく司法試験の勉強は「マラソンのようだ」といわれますが、それはこういう意味なのです。

縦横両方の視点で読む

 本を読んで理解、整理できたあとは、メモ用紙などにメモして、本のなかに次々と挟みます。本に書き込める量は限られているからです。そのせいで、私の本はほかの人の3倍ぐらいにふくらんでいましたね。
 もちろん、本に書き込みもしましたよ。例えば2ページに書いてあった基本的なことについて50ページにさらに展開され、個別の問題が150ページに書かれている、といったケースがあるとします。この場合、2ページ目には「50ページ、150ページ参照」と書き込んでおく。逆に50ページの方にも「2ページ・150ページ参照」、さらに150ページには「2ページ・50ページ参照」と書いておくと。このような作業が、本を単に1ページから読むだけでなく違った角度から読むことにもつながり、非常によかったと思います。というのは、多くの法律書は条文の流れに従い「縦の論理」で書かれています。それとぶつかる横の論理は必ずしもまとめて記述されていません。
 このような横の論理は、本にメモするだけでなく、さらに自分なりにノートにまとめておきます。最後にノートを開き、最初の見出しだけみてないようが全部言えるかどうかを自分自身で試してみます。ノートを見直して、言った言葉に抜けている部分があったら、もう一回勉強のやり直しです。
 私たちの時代には司法試験予備校などありませんでしたので、法律書に直接あたり、自分で整理して、自分で理解するしかありませんでした。その代わり、ただ暗記するのとは違い自分で体型や話の論理を理解しますし、なにより覚えたことを忘れないですね。

英米法の小堀憲助先生

 司法試験の勉強以外に、英米法の原書も読みました。大学3年の夏休みには、目をかけてくれていた英米法の小堀憲助先生に原書ももっと読んだほうがいい。ゲルダートの「Elements of English law」を翻訳して持ってこい」と言われ、毎日少しずつ翻訳して先生のところに通いました。はじめのうちは、1ページも翻訳できなかったのが、そのうち何ページか翻訳できるようになると「だいぶできるようになったな」とほめられたり・・・・。先生が自分のゼミ生でもない私のために毎日つきあってっくれたことに、今でも感謝しています。
 司法試験に合格し、裁判官になろうと司法研修所の申し込みをしていたのですが、さきの小堀先生とゼミの恩師戸田修三先生が「大学に残れ」と言うんですよ。「助手はいいぞ、5年間好きなことができる」と。私もそれはいい話だと思い大学に残ったのですが、いざ助手になってみると、とても好きなことがきる状況ではありませんでした。

私の専門・商法(会社法)

 私のゼミでの発表テーマは「株式会社の共益権の本質・社団論と財団論から」というものでした。助手として残ったのも、この研究課題で論文を書いてから実務家になってもいいのでは、という気持ちがあったからです。しかし、助手になった昭和44年は、大学紛争のまっただ中でした。そんな中でも、会社という存在のあり方は大きな課題でした。私的な所有という論理への疑問があったのです。それはのちの企業の社会的責任、コーポレートガバナンス(企業の支配や統治)、そしてコンプライアンス(ルールに従うこと)というような系譜につながるものです。より大きくいえば、法秩序における会社法はいかなる機能を分担すべきなのか、ということです。というわけで、法秩序における商法の役割、とりわけ会社法の機能と構造を研究課題に、研究者として歩み始めました。
 現在は、一方で会社法という独立した法典が編纂され、他方では企業のあり方が従来以上に問われている時代となりました。私の興味は尽きるところがありません。


社会の課題を考える「実学」

 大学における教育というのは、教室だけでなくキャンパスの体験すべてが教育なんですよね。1年から4年まで、スポーツに打ち込んでいる人もいれば、文化活動、そして学術活動に打ち込んでいる人もいる。そういう色々な学生が集まり、みんなでお互い押し合いへし合いしながら、一皮むけて大人になっていく。こうしたことが1つの大事な教育の場なんですよ。さらには、インターンシップで社会との接点を持ち、自分の将来のキャリアや進む道を考え、学生生活をどう送ったらいいかを自覚する。これも立派な教育的体験なのです。
 よく誤解されるですが、中央大学が伝統とする「実学」とはこの社会の課題、世界の課題に応える、という意味なんです。例えば、現在世界が抱ええる課題として、環境問題は大きいですよね。となると、学生に環境意識を持たせることが「実学」をかかげる中央大学の大きな課題でもあります。
 また、日本国内においては少子化による労働力不足も問題となっています。これについては、例えば家庭にいる女性が社会進出すれば労働力は大きく増えますよね。とすれば、女性の社会参画を助けることも大きな社会的課題でしょう。そこで中央大学では、女性キャリアを輩出するプログラムを積極的に作ろうと考えています。
 中央大学は、様々な専門を持つ全学の教員が結集して、こうした問題に対して応えられる学生を輩出していきたい。我々の大きな目標に共鳴し多くの学生が集まってくる場になりたいと思っています。この文章を読む子どもたち、また保護者の方々にも、21世紀の課題について大いに考えて欲しいですね。


スケールの大きな子どもに

 実学における実は「篤実(とくじつ)」の実で、決してマニュアルにできるものではありません。そのためにも、今の子どもたちには、本当にのびのびと、スケールの大きな子どもに育ってほしいですね。ちまちました勉強で、変な型にはめてしまうと、本当はもっと大きく育つのに、自己規定してその殻を破れない。正直なところ、中央大学に入学してくる新入生にも、大学受験の偏差値で自己規定してしまう者がいます。でも、18歳での偏差値の差なんて、漢字間違えて4点、細かいスペルミスで何点と、その程度の差ですよね。
 そこで私達の大学は、まず1年生の時に受験勉強から脱皮させることを目指します。そして、自分の将来を真剣に考え、自分はどうやって将来ひとりで生きていくのかということを自覚してもらう。そのうえで、自分にはどのような勉強や経験、能力が必要なのかを知る、と。そして、4年間の学生生活では、自分で考えたことに従い、しっかり学んでいくようにさせていきたいです。これらのことが1年生でできた時、その学生はすごく伸びるんですよね。そこで、1年生教育についてはどの学部も重点的に取り組んでいます。
 このことは、子どもの時だったらもっと言えるだろうと、私は思います。18歳からでも、そうやって進歩して大きく伸びていけるのですから。


コラム
著名人を輩出してきた伝統「実学」

 先ごろ、新しく経団連の会長に就任した御手洗富士夫・キャノン会長は、中央大学の出身です。また、昨年から理事長にセブン&アイ・ホールディングスCEOの鈴木敏文氏を迎え入れたこともあり、経済界でも中央大学は大きな注目を集めています。明治時代の創立以来「実学」をモットーとし、数多くの実業家、法律家を輩出してきた伝統を、21世紀にも引き継ぐべく、中央大学はさらなる改良、発展を続けていきます。

プレゼント

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